1.            

    教行一致(きょうぎょういっち)

    天台宗には「教行一致」という言葉があって、教えと行いが一つになっていることが大事とされているんだ。それは、「知識」と「知恵」が両輪のごとくある状態のことななんだな。だから、「知識」と「知恵」のどちらか一方に偏らないで、中庸のところを目指すことが大事なんじゃないかな。

    P 54

    身口意三業(しんくいさんごう)

    僕ら行者は、「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」(ひたすら歩いて、心の中で仏様を念じつつ、呼吸を整えながら、「身」と「口」と「意」の三つを一つにまとめる)という行をすることで、「身口意三業」を実践する。

    P 37

    先義後利(せんぎこうり)

    僕は、「先に義する者は栄える」という話を、ある百貨店の人にしたことがあるんだけど、その人から、「阿闍梨さん、それは大丸の社訓になってますよ」と言われたんだ。僕も知らなかったんだけど、大丸は「義を先にして利を後にする者は栄える」という「先義後利」という言葉を理念にしているそうだ。

    P 32

    先に利する者は必ず滅びる。先に義する者は栄える

    お金儲けをするなら、人間としての道理を先にしっかり実践して、それから初めてお金儲けをしましょう、という人のほうが、結局は繁盛する。「先に義する者は栄える」とは、そういうことにも通じるんだ。

    P 31

    知識よりも実践

    口先だけの知識で終わらせないためにも、なんでも自分でやってみて、実践できるようになることが大事なんだと思うよ。

    P 26

    自分で幸せな方向へ歩いていく

    空いてや状況にこだわらず、自分で幸せなほうへ歩いていく考えを持っていればいいんだよ。どんなときでも、まわりをコントロールしようとせず、自分に合った行動をしていけば、道が開けると思うし、毎日幸せに暮らせると思うよ。

    P 6

    今できることをやればいい


    酒井 雄哉 SAKAI Yusai      天台宗大阿闍梨・比叡山飯室谷不動堂長寿院住職
    1926年 大阪府生まれ
    1941年 慶應義塾商業学校に入学
    1944年 熊本県人吉の予科練に入隊
    1966年 比叡山延暦寺で得度
    1973年 千日回峰行を開始
    1980年 千日回峰行を満行。半年後に再び千日回峰行を開始。
    1987年 2度目の千日回峰行を満行。
    1995年 仏教伝道文化賞受賞
    2013年 逝去

    数息観

    集中力がつかみにくいなと思ったら、一つ、二つ・・・・・・と数えながら呼吸をしていくといいよね。数息観というんだけど、やっていくうちに落ち着いてきて、心がスッとしてくるんだよ。リズムに乗っちゃった人は、何度もずっと繰り返しちゃうくらい、集中力が高まってくるんだ。

    P 234

    身口意三業相応(しんくいさんごうそうおう):呼吸と心と体の一致

    行の最中に呼吸を正常にすると、体の動きがついてきて、体の動きがついてくると、心が穏やかになってくる。全部が一つになると、スーッと歩いていけるようになって、自然に集中力が高まって、無心になるっていう言葉で表現される状態になるんだな。

    P 232

    基本を大事に続ける、それは簡単なこと

    基本を大事にして、続けるということが大切なんだね。館が用によっては難しいかもわからないけど、難しい理論とか言葉はいらないんだな。ただ、それだけでスーッと生きていけばいいんだ。あれこれ頭で考えて計算して、難しく考えなくていいんだよ。だから、簡単なことなんだ。

    P 224

    自分の存在や今日を大切に生き切る

    要するにこだわらないで、一生懸命自分たちの楽しみを持って、自分の存在や今日を大切にするのが一番いいんじゃないのということだね。今こうしていても、とっとっとっと、今この瞬間はなくなっていっちゃうんだからな。そうやって見ていくと、細かい理屈をつけなくても、毎日毎日、ただ、それだけの、一日一生になっちゃうんだ。結局、それ以外にないんだから。

    P 223

    自分の原点を持ち、本線を歩く

    原点を持っていれば、自分を見失うこともないし、人生の本線に向かって歩いていける。それを生き方に発展させると、基本に生きるということになるんだ。それをはずしちゃったら、今まで背負ってたものがグワーッと放り出されて、とんてもないことになるよね。

    P 216

    心の操縦法

    だから、現実にとらわれることから離れなきゃならない。現実にとらわれすぎると、視点がくらついちゃうからね。現実にあまりとらわれなければ、「なるようにしかならない。じゃ、次へ行きましょうか」と心に余裕ができるんだ。それは、一つの心の操縦法かもしれないな。

    P 184

    人間フル回転で生きる

    やっぱり、長生きをしていればいろんなことに会うし、いろんな経験ができる。人間フル開店するべきだと思うな。ただ、ボケっとしてるのはもったいないけど、フル回転していれば、昔の歴史や、昔の知り合いにふれあって、新しいことを知ることだってできる。新しい楽しみができるよね。

    P 130

    一日が一生

    そうやって、僕も草鞋を脱いで元の姿に戻る時にね、「今日一日、ああいうふうにすればよかった」とか、「こうすればよかった」とわかって、また新しい人間が完成して、次の日に出かけていくんだ。
    やっぱり、イチニが一生じゃないかなぁ。今日の自分は、今日でおしまい。

    P 92

    とっさの瞬間に先に行けるかどうかが分かれ道

    行をしている最中に、「もう死んじゃうのとちがう?」と思ったことが何回もあるんだよ。そういう時でも、「やらなきゃならない、行くんだ!」と思ったら、前向きにものを考えてるから、不思議と行けちゃうんだよね。何でもやらなかったら、道は拓けない。

    P 46

    ムダなことなどひとつもない


    酒井 雄哉 SAKAI Yusai      天台宗大阿闍梨・比叡山飯室谷不動堂長寿院住職
    1926年 大阪府生まれ
    1941年 慶應義塾商業学校に入学
    1944年 熊本県人吉の予科練に入隊
    1966年 比叡山延暦寺で得度
    1973年 千日回峰行を開始
    1980年 千日回峰行を満行。半年後に再び千日回峰行を開始。
    1987年 2度目の千日回峰行を満行。
    1995年 仏教伝道文化賞受賞
    2013年 逝去

    出世のタイミング:周りから催促されるような状況がベスト

    けっきょくのところ、早くてもおそくても、みんなが得心できるようなものであるなら心配はない。みんなから催促されるような形でつかんだときの幸運こそ、本物なのである。

    P 198

    ただこの一念、つまり、ひたすらな思い

    けっきょくのところ重要なのは、現在の一念、つまりひたすらな思いよりほかにはなにもないということである。一念、一念と積みかさねていって、つまりはそれが一生となるのである。このことに思いつきさえすれば、ほかにいそがしいこともなく、さがしもとめることも必要なくなり、ただこの一念、つまり、ひたすらな思いを守って暮らすだけである。

    P 161

    判断の速さ:七呼吸のあいだに思案せよ

    こだわりなく、さわやかに、凛とした気持ちになっていれば、七呼吸のあいだに判断がつくものだ。落ちついて、ふっきれた気持ちになって思案するのである。

    P 143

    水増せば船高し:困難に出会ったら喜ぶべき

    たいへん困難なことに出会っても、気を転倒させないというくらいでは、まだまだ未熟な段階である。大きな変事に出会ったときは、おおいによろこび勇んでつき進むべきである。これはいってみれば、ひとつの段階を越えたところである。「水増せば船高し」(推移が上がれば船は高くなるように、人間も困難にぶつかるたびに大きく成長するものだ)というようなものである。

    P 141

    倹約よりも義理を重んじる

    また、若い人が倹約心などあるのを、よいやりくりであるなどとほめるのは、浅ましいかぎりである。倹約心などのあるものは、けっきょくは義理を欠くことになるにきまっている。義理を忘れるものは、いうまでもなく心いやしく、劣った者である。

    P 126

    相手に意見を伝える時は細心の注意を払う

    意見というのは、まず、その人がそれをうけいれるか否かをよく見分け、相手と親しくなり、こちらのいうことを、いつも信用するような状態にしむけるところからはじめなければならない。そのうえで趣味の方面などからはいって、言い方なども工夫し、時節を考え、あるいは手紙などで、あるいは帰りがけなどに、自分の失敗を話し出したりして、よけいなことは言わなくても思い当たるようにすむけるのがよい。

    P 104

    毎日、朝夕に死を覚悟することが必要

    とにかく、武士道をきわめるためには、朝夕くりかえし死を覚悟することが必要なのである。つねに死を覚悟しているときは、武士道が自分のものとなり、一生誤りなくご奉仕し尽くすことができようというものだ。

    P 100

    自殺と病死と宿命と意思

    しかし、自由意志の極致のあらわれと見られる自殺にも、その死へいたる不可避性には、ついに自分で選んで選び得なかった宿命の因子が働いている。また、たんなる自然死のように見える病死ですら、そこの病死に運んでいく経過には、自殺に似た、みずから選んだ死であるかのように思われる場合が、けっして少なくない。

    P 87

    「葉隠」の説く死と山本常朝の死

    「葉隠」は一応、選びうる行為としての死へ向かって、われわれの決断を促しているのであるが、同時に、その裏には、殉死を禁じられて生きのびた一人の男の、死から見放された深いニヒリズムの水たまりが横たわっている。

    P 86

    エピクロスの哲理

    したがって、エピクロスは、キュレネ学派と同じく、快楽を幸福有得な生活の最高原理としながら、その快楽の目的をアタラクシアに置き、また、この快楽をおびやかす死の不安は、「生きているかぎり死は来ず、死んだときにはわれわれは存在しないから、したがって死を怖れる必要はない」という哲理で解決した。そのようなエピクロスの哲理は、そのまま山本常朝の快楽哲学につながっている。

    P 72
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    1981年東京生まれ。静岡育ち。

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